ちょっといい話
わたしの青春時代

 村上工業梶@副社長
    村上 聖
☆☆☆☆

 阪急電車神戸線、六甲駅から徒歩2分。そこに私が建築YAとしての一歩を踏み出した一室があった。木造モルタル造2階建、屋根セメント瓦葺、全6室。その一階西側の部屋、四帖半、流し付、築後12年家賃5,200円共益費500円、トイレは共同(水洗ではあった)。 

その名も『第2みなと荘』、いかにも神戸!!そんな雰囲気など全く感じさせないド演歌の世界のアパート名である。今ならさしずめハーバーウ”ィラUとでも言うのだろう。(実は伴わないが…)建築科の学生であったので、一応、製図板、ドラフター及び60p角のこたつ(机を兼ねる)は完備。
・・・があまり製図板に向かった記憶はよみがえってこない。

 こたつの上には、中島十83、西口十15、村上一123・・・・・日計、月計の集計値のみが記された大学ノート。将来の国際化時代における中国の役割を予見し、順列と組み合わせを思考しながら、机には、何時間も仲間と向かい合っていた。

駅のすぐそぱであったし、いろいろな意味で便利であったので、いわゆる皆のたまり場であった。

 部屋の隅には、
サントリー『各瓶』(学生の分際ではちょっと高かったが、デザインが気に入り好んで飲み空瓶を並べて悦に入っていた)、そして、こだわりの酒、黒松『剣菱』。限りなく目由気ままな時代であった。
『そんな時代もあったよね』歌の文句じゃないけれど、それぞれの時代に経験してきたことを核としながら、今年1年、全方位に頑張ります。